音楽大好き!ぽろんのプロフィール

電気代の見直し

こんにちは。音楽大好き!音もだち(^^♪の「ぽろん」です。

私のプロフィールを見ていただきありがとうございます。

これまでどんな過程で音楽と関わってきたのかを思い出しながら、楽しんで書きました。

いろいろなエピソードがありますが、今思えばすべて私の夢を叶えるために必要なプロセスでした。

これを読んだあとには、みなさんも夢に向かって前に進めるような気持ちになれると思います。

生まれ育ったところ

茨城県鉾田市ですくすくと成長しました。

結婚後2年ほど違う場所に住みましたが、夫の両親と同居することが決まっており、再び鉾田に戻り現在に至ります。

かなり想定外なのですが、実家と嫁ぎ先は1kmも離れていない場所にあるので、いわゆる「ジモティー」になってしまいました。

都会にあこがれて

「こんな田舎早く出たい!」とばかりに、高校卒業後の進路はとにかく一人暮らしができる方法ばかり考えていました。

ですが、大変な家計をやりくりしてくれていることも十分承知していた私は、両親と何度も相談し、結果、自宅から通える短大へと進学することにしたのです。

結局ずっと実家暮らしをしてしまいました。

住めば都

本当にこのことわざ通りです。

田舎ではありましたが、友達や出会いには恵まれ、本当に楽しい毎日を過ごしていました。

もちろん今でも不便だと思うことはたくさんありますが、充実した毎日を送れていると感じているので、もう私にとっては「都」と化した田舎です。

音楽との出会い

これは音楽好きの母の影響が大きいです。

もともと歌うことや映画が好きな母は、私を妊娠中に無性に聴きたかった映画音楽や、ラテン音楽を流していたそうです。

そこで神秘的な話になるのですが、私、母のお腹の中で聴いていた曲の記憶があったんです。

まだ私が小さい頃(幼稚園前です)、親戚からプレイヤーをもらったので、試しに母の持っているレコードをかけてみたところ…

初めて聴くのにどれも知ってるんです!

しかもどの曲もすごく好きと思えるほど愛着があるような不思議な感じ…

今こうして書きながら、久しぶりに思い出しました。

歌手になる

小さい頃の私の夢です。

実は一緒に住んでいたおばあちゃんも歌が大好きでした。

昭和の歌謡曲をよく一緒に歌っていたなぁ。

当時、家の目の前に住んでいた同い年の女の子と、「家族対抗歌合戦!」と称して(年代バレますね)毎日のように歌っていました。

大きくなったら歌手になりたいと夢見て、自作の歌まであったほどです。(残念ながら忘れてしまいましたが、サビ部分が家族には有名で今でもバカにされます)

オルガンとの出会い

「邪魔になったからあげる」ということで、また親戚からもらいました。(もらいものが多かったです)

私の父は転職が多かったのですが、そのうちのひとつに楽器店の運転手の仕事をしていたことがありました。

もともと器用な父はちょっとした楽器の修理もでき、「ねこふんじゃった」の冒頭部分なんかも弾いていました。

母もほんの少しだけ弾けたことから、私も見よう見まねで弾き始めたのですが、それが楽しくて仕方ありませんでした。

ピアノを習いたい

幼稚園に行ってからのことです。

ずっと自己流でオルガンを弾いていた私ですが、明らかにちゃんとした弾き方で教室のオルガンを弾く友達がいたんです。

これがきっかけになり、初めて「ピアノを習いたい!」と言いました。

このシチュエーションは今でもはっきりと覚えています。

習い事ブーム

私の「ピアノを習いたい」お願いは、小学校に入ってからということで、しばらく待つことになりました。

念願の1年生になり、いよいよピアノ教室に行ける!と思ったら…

満員でお断りされてしまいましたಥ_ಥ

ちょうど私の年代は第○次ベビーブームと言われる年で、とにかく子どもが多く、習字・そろばん・ピアノなどの習い事をかけもちするのが流行りだした頃でもありました。

楽しみに待っていたので本当にがっかりしましたが、こうなったら意地でもやりたくて探し回り、やっと習い始めることができました。

ステキな先生

初めてのピアノの先生はすぐに私の憧れの存在になりました。

優しくて、スカート姿も素敵、もちろんピアノも上手…(順番が変かもしれませんが、この順で大好きでした)

数年習っているうちに何人も先生が変わったのですが、最初に出会った先生が一番印象に残っています。

この先生のようになりたくて、私の夢は「ピアノの先生になりたい」に変わりました。

紆余曲折しましたが、念願のピアノの先生になれた今、かつて自分が大好きだった先生のような存在になることを目標にがんばっています。

ピアノと私

これは私が小学校の頃に書いた作文の題名です。

どれだけピアノが好きかを一生懸命書いたら、当時地域で発刊していた文集に掲載されました。

こういうことから、ますますピアノを好きになっていき、文章で伝える楽しさも味わった貴重な経験になりました。

まさかの…

5年生か6年生になる頃です。

こんなにピアノ好きを豪語しておきながら、突然ピアノを辞めてしまいました。

度々ピアノの先生が変わることで、打ち解けられない関係のままギクシャクしてしまったり、友達と遊ぶ時間が欲しくて練習もしなくなるなど、ピアノへの情熱が冷めてしまった時期でした。

それともう一つ…

どんなにお願いしてもピアノを買ってもらえなかったことも、やる気をなくしていった原因かと思います。

弾いた感触も鍵盤の数も違うオルガンで練習するのが嫌になってしまったのです。

ピアノ以外で音楽を

小学校では4年生からクラブ活動ができました。

そもそも運動が苦手だったので、迷うことなく「器楽クラブ」に入りました。

アコーディオンがメインで、木琴、鉄琴、打楽器の中から、好きな楽器を選んで演奏するシステムだったので、いろんな楽器を演奏させてもらえて、とても楽しいクラブでした。

それとは別に新たに「金管クラブ」も立ち上がった時ももちろん参加し、トランペットを吹いたりもしました。

見たこともない楽器

アンサンブルの楽しさを知った私は、中学校に行っても「吹奏楽部」に入部しました。

器楽クラブでは見たこともない楽器にとても興奮しました。

私の担当はクラリネット。

ようやく音が出るようになった頃、ある曲でどうしてもオーボエが必要ということでやむなく楽器変更をしたのですが、この楽器変更も私にとっては大事な出来事になりました。

アンサンブル大好き

結局、小・中・高と音楽漬けの毎日を送りました。

魅力だったのはみんなで合奏する楽しさです。

ひょんなことから始めたオーボエにもドはまりし、高校では部活の他に「バロックアンサンブルを楽しむ会」に所属し、大学になってからは県内のオーケストラでもオーボエを吹いていました。

アンサンブルが大好きな私は、現在運営するピアノ教室でもグループ分けをし、生徒同士のアンサンブルの機会を作っています。

ピアノだけでなくリコーダー・鍵盤ハーモニカ・ハンドベルなどを使い、ジャンルもクラシック・ポピュラー・ジャズなど、幅広く選ぶようにしています。

初めは戸惑う子ども達ですが、最終的にはとても楽しんで演奏してくれるので、発表会の定番になりました。

ピアノがやってきた!

中2になった頃、突然両親が「ピアノ欲しいか?」と尋ねてきました。

かつて、買って!と言い続けていた私のために、何年も積み立てをしてくれていたようなのです。

私はあまりの嬉しさに興奮して即答しました。

「本当に買ってくれるの?もちろん欲しいよ!」

この突然のピアノ購入により、私はピアノのレッスンを再開することになりました。

毎日ピアノばかり

念願のピアノが家にあるのですから、本当に弾きまくりました。

テスト前にはピアノに鍵をかけたほどです。

家族がテレビを見ている時間にはよく言われました…。

「うるさーい!」

何も考えずに弾いていられたあの日々は幸せだったな~と思います。

進路の迷い

いくらピアノが好きでも、一旦辞めてしまったブランクは大きいものでした。

音楽のことをもっと学びたくて音大に行きたかったのですが、ピアノの技術はそれに対応できるレベルではありませんでした。

もしピアノをがんばったとしても、家計的に難しいことは私も知っていたので、音大以外で音楽に携われる道を考えることにしました。

子どもが好き

高校に入ってからは、「自分は何をしたいのか」 「何を得意とするのか」 ということばかりをいつも考えていました。

音楽に繋がる何かを見つけることが理想だったのですが、自分のスキルや金銭的なことを考えすぎて、なかなか方向性が決まらずにいました。

そんなある年の夏休み、親戚の子ども達と遊んでいてふと気が付きました。

子ども達と関わるって楽しい!幼稚園や保育園の先生もいいかも!

そして、幼児教育学科への進学を決めました。

いろんな学校を検討する中、幼児教育学を学びながら、声楽・ピアノを専門的に学べるコースがある学校を見つけました。

私が望む勉強が両方できるとは!

こんなことってある?とばかりに、この学校への進学を決めました。

就職

無事に幼稚園・保育園の先生の免許は取れたのですが、また就職で悩みました。

バイトもしていましたが、自由な時間はほぼピアノの練習をしていたこともあり、技術的なレベルが上がっていることを実感していた頃です。

そうなるとやはり、音楽に関わる仕事がしたいとか、かつてからの夢だったピアノの先生になりたい想いが膨らみ、幼稚園の先生としての就職をためらってしまったのです。

ピアノの先生になれるかも!

大学の就職センターに通っていたある日…

「音楽教室の講師募集」の張り紙を見つけました。

これだ‼

予期せぬ募集に驚くと同時に、これしかない!と決心した日。

夢への第一歩を踏み出しました。

ピアノの先生として

晴れて大手音楽教室の講師となれた私は、たくさんの研修の機会をいただきました。

音楽の学びは、どんな課題であっても楽しくて仕方がありませんでした。

ピアノを習いに来る生徒さんの年齢層が低かったり、1歳半からのグループコースの担当になった時でも、大学で学んだことや実習での経験が活かされ、アイデアに困ることがなかったように思います。

私にとっては、幼児教育学を学び、ピアノの先生になったことで、「技術だけを伝える先生ではない」という強みを持つことができました。

コミュニケーションをとること

現在は自宅でのみピアノを教えています。

ピアノは弾く人の気持ちが表れるので、生徒の音を聴くと今日はどんな気分なのかがわかったりします。

落ち込んでいるような音や怒りに満ちた音に感じた日は、何かあったの?と話を聞いてみるのですが、本当に何かがあることが多いのです。

なので、何でも話せる関係になれるよう、生徒とのコミュニケーションは大事にしています。
(かつて私がピアノから離れた原因が教訓です)

ついでと言っては何ですが、送迎のお母さん方の悩みを聞く機会もたくさんあります。

そうなってくると、当然ピアノ以外の話になるわけですが、どんな時でも相手を気持ちを考えられる自分でありたいと思っているので、真剣に話を聞かせてもらい、真剣に意見を伝えるよう心がけています。

演奏活動

よく「珍しいね」と言われるのですが、隣の家もピアノ教室、斜め前はヴァイオリン教室という環境で教室運営をしています。

不思議なほど生徒さんが集まるルートが違うので、お互いに一定数の生徒さんに恵まれています。

しかもこの3人はとても仲がいいのです。

3人でアンサンブルをしよう!という話はすぐにまとまり、2006年に「トリオ コレンテ」というグループを発足させました。

これまた偶然なんですが3人の苗字に「川」が使われていたことから、「流れる」という意味合いのイタリア語を使って「コレンテ 」という名前になりました。

トリオ コレンテは、わかりやすい説明でクラシックを演奏したり、子ども達が楽しめる選曲をすることで定評があり、主に幼稚園や小学校から演奏の依頼をいただいています。

ボランティア

私の中で、生の音楽をもっと気軽に聴いてほしいと思う気持ちもあり、2009年には「ムジカ・ママ」というボランティアの音楽グループを結成させました。

もちろんパパさんがメンバーでもいいのですが、参加者がみんなママだったというだけで簡単に決めてしまいました。

こちらの演奏の場は、幼稚園のお誕生会(15分位)や社会福祉協議会から紹介のある高齢者施設などでの演奏がメインになっています。

演奏に参加したいと希望する人も出てきて、現在は6名で活動しています。

ピアノ&フルートデュオ

2020年8月に結成したピアノとフルートの2人組、グループ名は「そよ風」です。

コロナ渦において、疲れてしまった心を癒したいという気持ちが合致し、友人と作ったグループです。

ひょんなことから地元のFM局で演奏が流されることになりました。

詳しい経緯は「ピアノ&フルートデュオ」の記事をご覧ください。

デュオ名はそよ風

疲れるなぁと感じるあなたに贈りたい。ピアノ&フルートデュオは「そよ風」と名付けました。

    

まとめ

自宅のピアノ教室では、音楽を好きになる子ども達が増えたらいいなぁという思いで、発表会やお楽しみ会などの企画を充実させています。

私自身の趣味としては、フラを楽しんだり今後はガーデニングなどもやりたいと思っています。

音楽の発信がメインではありますが、元来「ズボラ」な主婦でもありますので、日常のドジ記事も量産しています。

随時、ブログでお伝えしていきたいと思いますので、興味がありましたら是非読みにきてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。